2008年04月02日

題材の割りに地味−ブラックサイト

ネットで処刑サイトが出現。アクセスが多くなればなるほど、死刑執行が早くなる。

ブラックサイト』(→ 公式サイト)はそんな映画。原題は"the untraceable"の様子。天才的な人物がそれを犯罪に使い、FBIと警察が追いかけるが翻弄される、という内容。ヒロインはネット犯罪捜査を行うFBIの捜査官。彼女たちの近辺にまで犯人の手が伸びる。

いくらでも残酷で下世話になる内容ながら、節度ある描写で、残虐性はきわめて薄い。話の運びも丁寧で、映画的には見えない描写を積み重ねる律儀かつ地道なもの。なので絵は地味。

映画的でないと思うが、話の運びは無駄がないので退屈はしない。ただ、なんでその二人がおなじ部屋で寝てるわけ?とか、そんなすぐに被害者が誰だかわかるものなのか?とか、すっとばしている部分もあるので疑問は生じる。が、良くも悪くも地味で地道な話運びであるがゆえ、なんとなく納得させられてしまう。

犯人の動機はそれなりにある。マスメディアやネットを批判し揶揄する動機だが、作品ではそれを大声で叫ぶでもなく、案外淡々。で、犯人の怖さが迫るようなサスペンスかというと、そうでもなく。追跡不能、という題名なわりに犯人の素性は割れるし、その動機が案外普通なので異常性は感じない。しかも犯人はいずれつかまることを自覚している。その辺のおとなしさが作品のスケール感を小さくしているように思う。

見ている間はそれなりに面白いのだが、のめりこむというにはちょっと足りず。そして見終わったあと、それで終わりかよ、というか、なんだそりゃ、それでいいのかというラストシーンで、うーん、エンドロールのあとおまけもないのか。そりゃずいぶんあっさりとしているなぁ。

それなりにまとまったB級作品でした。題材の割りに気持ち悪さは少ないので、デートで見に行ってもセーフな映画です。

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2008年03月29日

山Pのコスプレショー、と考えればいいのだろう。−クロサギ

クロサギ』(→公式サイト)は、実に微妙な作品だった。

原作マンガは好きで読んでいる。テレビドラマも悪くなかった。映画版、これがなかでは最も劣る出来だった。そんなチープな騙し方の連発なのか、と、スケール感のない内容に、どうしたものかと首をかしげる。まぁ詐欺の映画があんまり真に迫っていては問題があるのかもしれないが。安っぽく、非現実にすぎるだろう。映画の場合、敢えてそういうシーンを描かない、という方法があるはずなのだが、なぜ愚直に見せてしまうのか。見せない描き方ではいまの観客は納得しない、ということか。

「クロサギ」で主軸となる話は、一家を崩壊に導いた詐欺師を喰うことである。その詐欺の絵を描いた大物に世話にならざるを得ない、という矛盾が本作に深みを与えている。そのあたりはしっかり踏まえ、主人公の境遇と似た人物を用意しているのだが、いや、映画版を作るのなら本来は、宿敵を食おうとする内容でないといけないのではないか。中途半端だなぁ。続編に期待せよ、ということか。商売としては正しいだろうが。

と、映画のスケールを生かしきれていないことへの不満たらたらだが、しかし。考えてみればこの作品は、アイドル映画である。アイドル映画というフレームでみれば、これは十二分によくできたものなのではないか。むかし見ていたアイドル映画は概ねこのできには程遠く、アイドル映画はアイドル映画でしかなかった。よくぞこの地平に達した、と評価すべきで、詐欺師ゆえに様々な衣装をまとう山下智久を楽しむ映画とみれば、その役割はきっちり果たしている。堀北真希の出番が少ないのはまぁ原作でもそうなので仕方がないが、なんか、こう、疲れて見えるのはすごい気になるぞ。美少女なのに・・・市川由衣がいる意味なくなっているのも話としてシンドイ。山崎努が芝居しすぎなのも鬱陶しいなぁ。ということで、逆に、山Pを堪能する以外には見所の少ない作品ではある。あとは奥貫薫の出番がきちんと多いことくらいか。 →『 クロサギ

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2008年03月28日

離れ難き別れ-マイ・ブルーベリー・ナイツ

マイ・ブルーベリー・ナイツ』(→ 公式サイト)はウォン・カーウァイ監督作品ということで単館規模と思い込んでいたが、シネコンで一斉公開されていた。映画を見ると、確かにシンプルで、これなら別に難解と思われることはないだろう。でもシネコンでかかる映画としては、やっぱりちょっと退屈で、一般的には敬遠される類の作品なのかもしれない。

こんな公開では作品の良さが死んでしまうのではないか、と考えるのは大きなお世話で、きちんと儲かりはするのだろう。この作品に向いているのは例えばバウスシアター のようなところの気がするが、音楽映画の似合う場所できっちりと売りなおせばエバーグリーンになりそうだ。

白目美人・ ノラ・ジョーンズに主演させ、音楽も一曲採用。形としては「 恋する惑星 」の踏襲で、そしてあれより話ははるかにわかりやすい。キャラクターは実に雄弁。演技は役者が見せ場とばかりに演じてくれるので、ノラ・ジョーンズは楽な役回り。演技をさせないで光らせるのが監督の巧いところか。

話はちょっと妙なつくりで、出会ったあとでどんどん遠ざかるロードムービー、ペンパルというか一方通行の手紙によって繋がる仲。そしてその輪を閉じて終える。ウォン・カーウァイというよりはジャームッシュヴェンダースに見える。ライ・クーダーが音楽となればますますその思いは強くなる。

離れがたき別れ。壊れた恋への執着、アルコール、ギャンブルへのアディクト、という要素をまとめると、そういうことか。とらわれてしまうか、そこから先に踏み出すか。主人公たちに用意されたのは、新しい出会い。そこにいたるまで、戸惑い、遠い道のりを歩むひともいるだろう。でも、ぽんと足を出せば一瞬。まぁ、そんなものだ。

美しく、わかりやすい終わり方をする、希望に満ちた一作。でもこれ、本質的には、デートムービーではなくて、失恋したひと、大事なひとを失ったひとへの応援歌のようなものではないか。

→『マイ・ブルーベリー・ナイツ

posted by happysad at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする